いわゆる演劇界を巡る事象に対するメモ

  • 彼らの主張の主語が大きいのはそもそも普段から文化を代表する立場にいると考えているからではないか?
    • 彼らが文化を代表すると考えていると思われる理由は、専門家が制作し、専門家が消費する、「ある意味純度の高い」形態だからか?
    • もしくは、専門家が制作し大衆が消費するものは文化ではないと考えているかではあるが、彼ら全てがそう思っているとは考えにくいので、ここでは保留する。
  • スポーツを引き合いに出して我々は無観客では成り立たないのだと主張した件は、その時点でスポーツ(の一部)が無観客興行を行っていたからであって、それ以上の意味はないと思われる。
    • ただし、ここでも主語の大きさが災いしており、例えば「大相撲」などと具体例を挙げるべきであった。
    • そもそもスポーツ興行も専門家が制作し大衆が消費するタイプの文化であるので、文化を代表する立場の発言としては好ましくない。
  • 論の発端が、自らの生業が不要不急とされることへの反発であるから、その時点で必要緊急とされていた製造業よりも、自らの生業の方がより必要緊急であると訴えたのではないか?
    • ただ、その論拠が製造業はいったん滅んでも人モノ金を投入すれば(容易に)復活するからという稚拙かつ事実に反するモノだったから同意を得られなかった。
      • 彼らが真にそう思っているのか、それとも上手い言い訳が思いつかなかった苦し紛れの論なのかは不明。
    • そもそも最初の主張が行われた理由が、平時から自らの生業が不要不急とされている自覚から来たものであるとすれば、稚拙な論でも主張しなければ消滅するという危機感があったものと思われる。
  • どうせ主語を広げるのであれば、もう一段大きく、「不要不急か否かによらず、全ての産業を保護するべき」という論であれば受け入れられた可能性はあると考える。
  • 専門家が制作し、専門家が消費する形態であっても、製造業なしには成り立たないというのは事実であって、その視点が欠けていたのがそもそも致命的というのは同意する。
  • そもそも、彼らが無心している相手は、「いわゆる演劇界」外の国民であり、少なからず製造業もしくはそれと何らかの関連がある者達なので、彼らの論は金を出させる相手を下げていることになる。方法論として正しくないことに同意する。
  • 彼らがそもそも、いわゆる演劇界すらも代表してないというのはおそらく真実であろう。
  • この件で演劇界全体を批判するのは乱暴かなと思う。