成熟という檻 「魔法少女まどか☆マギカ論」 / 山川賢一:著 を読みました。
分析結果については立場が異なる点も多々ありましたが。内容については、「評論というエンタテインメント」ってこうだよなー、と思ったりしました。
で、すみません、まどかマギカファンである前に、エディトリアルデザインが大好きすぎる系本好きなので。装丁とか本文デザインの話を……。てか、中身については気になる方は見てください、ですよね。「評論の評論」なんて面白くもなんともないので。(それを言うとたいていの人にとってはエディトリアルデザインの評論なんてさらに面白くないと思いますけど、まあそれはそれ)
いわゆるエディトリアルデザインに相当する「装丁・本文設計」としてクレジットされているのは小沼宏之という方で、帯をはずしたカバーデザインでは、メイングラフィックこそ、第3時間軸における、ほむらとまどかが戦い後に水溜りに倒れている(おそらく)本編画像であり、作品を知る人にとっては自明ではありますが、大きく16dotフォント風にかかれた成熟という檻というメインタイトルがやけに大きく、「まどかマギカ」の字が小さいというデザインになっています。これは装丁としてのメッセージはやはり本編鑑賞後の視聴者が対象になっているのでしょう(内容の書き方もそうですが)でもたぶんほかの人がデザインした帯は、「真性神的動画」だとか「オフィシャル評論」だとか言う意味不明の文字列と大きく作品名が書かれているもので……まあそもそも帯は書店向けのサービスの広告マテリアルだからとはいえ、初見でこれを見て楽しいかといわれると否だし、なんかピントが外れている気がしないでもない……のです。ちなみに表1表4はランダムに引かれた直線で、これはほむらによってまどかに束ねられた因果線を意識していると思われ、この形態の本としては上品かなあと思いました。
問題はですね。本文なんですが。索引があるのにノンブル内側(ノド側)だとかさ、索引は格調を高くする小道具かよと思ってしまって個人的には好きになれないなあとか。脚注が黒べたに紙色で左ページの小口に縦方向横組みで本文4行相当分に書かれているんだけど、本文が縦組みなので、ものすごく内容が読みにくいというか。そもそも左小口余白相当部分に全頁同一内容の本編画像が5mm各ぐらいで断ち切りで入ってるのでなんか見た目すっきりしてないんですよね。正直ここは読みにくくて、評論誌として脚注が読みにくいのはどうなんだろうと思ったりしたんですが……。あと最近はやりなのかな?引用部分が、漢字だけ本文より大きめ、あとは本文より小さめで組んであって、行間も大目に組んであるから読めなくはないんだけど読みにくいんだよね。本文が細身の明朝なのに、引用部が丸ゴシックだから黒くなりすぎないようにそうしたのかもだけど……評論って可読性が重要だと思うんだけどなあ。
「はじめに」と「おわりに」は30%か、もっと薄いグレー地でここは本文と意味合いが違うからまあわからんでもないんだけど、中扉がさ、図表は一応入っているけど黒100%の枠で中が黒70%とか80%地なのに文字が黒100%なので、正直読めない。まるでカラーをグレースケール化して失敗したような。章タイトルって評論にとっては重要な情報じゃないのかなあ。
まあ、個人的に白い色味の本が好きというのを差し引いて、作品世界にあわせて色味を黒くしたいという意図なんだろうと言うのを加味しても、可読性を犠牲してまでってのはどうだろう、という気がしましたです。
いや、まさか小沼宏之さんもこんなところでエディトリアルデザインにけちつけられるとは思ってはいないでしょうけどね。ウェヒヒヒヒ